リバタリアニズムは、あまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、現代政治を理解するうえで重要な政治思想です。
この記事では、曖昧になりがちな「リバタリアニズム」を、できるだけわかりやすく解説します。
また、よく混同される「自由主義(リベラリズム)」や「新自由主義(ネオリベラリズム)」との違いについても、整理しながら説明します。さらに、リバタリアニズムに対する代表的な批判についても解説します。
リバタリアニズムとは?
リバタリアニズムとは、個人の自由と経済の自由の両方を強く重視する政治思想・政治哲学です。
個人の自由とは、自分の身体や私的所有権を、他者や政府から侵されるべきではないという立場です。
たとえば、政府による徴兵や強制労働は、身体的自由の侵害として否定されます。また、自分が所有する土地や建物、財産を政府が強く制限したり徴収したりすることにも否定的です。
経済の自由とは、市場はなるべく自由に任せるべきだという考え方です。
この発想の代表的人物としてよく挙げられるのがアダム・スミスです。政府が市場へ強く介入するのではなく、自由競争に任せたほうがうまくいくと考えました。詳しくは下記の記事で解説しています。
つまりリバタリアニズムは、究極的には政府による市民への介入をできる限り小さくする思想です。国家や政府の役割を最小限に抑え、個人の自由を最大限守ろうとします。
ただし、暴力、収奪、詐欺など、他者の生命や私的財産を侵害する行為については、強制力を用いてでも防ぐべきだと考えます。
自由主義(リベラリズム)との違いは?
リバタリアニズムと自由主義(リベラリズム)は、似ているようで異なる政治思想です。詳しくは下記でも解説しています。
自由主義(リベラリズム)は、歴史の中で意味が広がってきたため、本質が少し掴みにくい言葉です。しかし、現代的な意味で整理すると、次のように言えます。近代自由主義とも呼ばれます。
政府が適切に介入することによって、人々の自由を保障する政治思想
なぜ自由主義が政府介入を認めるのか、不思議に感じるかもしれません。
もともとの自由主義は、政府はあまり介入すべきでないという立場に近いものでした。しかし、市場に任せきりでは、貧困や飢餓の問題が解決されないことがわかってきました。自由を守るはずの自由主義が、かえって人々を不自由にしているのではないか、という問題意識が強まったのです。
そこで、経済学者ケインズらを中心に、適切に政府が介入することで、人々の自由を実質的に保障しようという方向へ自由主義は拡張されました。ケインズについては下記の記事で詳しく解説しています。
新自由主義(ネオリベラリズム)との違いは?

リバタリアニズムとネオリベラリズム(新自由主義)は、密接に関係しています。
先ほど説明したように、リバタリアニズムは個人の自由と経済の自由の両方を重視する政治思想です。これに対して、ネオリベラリズム(新自由主義)は、主にその中の経済の自由を重視する経済学的・政策的な立場だと整理できます。
代表的人物として挙げられるのがミルトン・フリードマンです。新自由主義は、簡単に言えば「政府は市場に極力介入せず、自由競争に任せるのが最も望ましい」という考え方です。
詳しくは下記の記事で解説していますが、ネオリベラリズム(新自由主義)は、リバタリアニズムを支える経済思想の一つと考えるとわかりやすいでしょう。
リバタリアニズム・リベラリズム・ネオリベラリズムの違い
これまで説明した通り、リバタリアニズム、リベラリズム(自由主義)、ネオリベラリズム(新自由主義)には明確な違いがあります。整理すると次の通りです。
- リバタリアニズム
個人の自由と経済の自由の両方を強く重視する政治思想・政治哲学 - リベラリズム(自由主義)
現代では、政府が適切に介入することで、人々の自由を実質的に拡大・保障しようとする政治思想・政治哲学 - ネオリベラリズム(新自由主義)
市場には政府が極力介入せず、自由競争に任せるべきだとする経済思想・経済政策の立場。リバタリアニズムの経済面と重なりやすい

2つのリバタリアニズム
リバタリアニズムには、大きく分けて2つの異なる根拠があります。
一つはジョン・ロックらの自然権思想から発展した立場、もう一つは功利主義から発展した立場です。
結論として目指す社会像は近いのですが、そこへ至る理由づけが異なります。
ロックの思想が元となった「自然権的リバタリアン」

自然権的リバタリアンは、ホッブスやジョン・ロックが提唱した「自然権」を基礎にしています。
自然権については、ホッブスの『リヴァイアサン』でも詳しく論じられています。
この立場では、人間は生まれながらに、他者から侵されるべきでない権利を持っていると考えます。身体、生命、財産などは本来個人に属するものであり、国家であっても簡単に侵害できないという発想です。
この自然権思想をさらに徹底させたものが、自然権的リバタリアニズムです。
民主主義の発展史をあわせて知ると、より理解しやすくなります。
功利主義から生まれた「帰結主義的リバタリアン」
帰結主義的リバタリアンは、功利主義から発展した立場です。
功利主義とは、政治制度や社会のあり方の望ましさを、その結果として生じる効用(満足度)によって判断する考え方です。
つまり、帰結主義的リバタリアンは、「相互の権利をできる限り侵害しない自由な社会のほうが、結果として社会全体の満足度や効率が高くなる」と考えるため、リバタリアニズムを支持します。
自然権的立場が「権利があるから自由を守るべきだ」と考えるのに対し、帰結主義的立場は「そのほうが結果的に社会にとって良いから自由を守るべきだ」と考えるわけです。
リバタリアニズムへの批判
リバタリアニズムは、個人の自由を非常に強く守ろうとする魅力的な思想に見えますが、当然ながら批判もあります。
代表的な批判は、「自由を過剰に拡大しすぎると、かえって多くの人の自由を損なうのではないか」というものです。
先ほど説明したように、経済の自由を重視する新自由主義を強く推し進めた社会では、巨大な格差が生まれやすくなります。詳しくは下記の記事でも解説しています。
政府が市場をまったくコントロールしない場合、競争に敗れた人は生活基盤を失い、結果として自由そのものを失ってしまうことがあります。これでは、「自由を守る思想」のはずが、かえって自由を奪うことになりかねません。
この問題はリバタリアニズムの弱点であると同時に、資本主義そのものが抱える欠点とも言えます。
まとめ
リバタリアニズムについて解説しました。
リバタリアニズムは、人々の自由をできる限り広く保障すべきだとする政治思想・政治哲学です。しかし、その自由を徹底しすぎると、逆に経済的弱者を生み出し、多くの人の自由を実質的に奪ってしまう危険もあります。
結局のところ、自由を拡大するつもりが、多くの人の自由を損なうのであれば本末転倒です。
それでもリバタリアニズムは、国家とは何か、自由とは何か、政府はどこまで介入すべきかを考えるうえで、非常に重要な思想です。
極端な立場ではありますが、その極端さゆえに、現代社会の問題点を逆に見えやすくしてくれる面もあります。ぜひ一度、先入観を抜きにして、この思想が目指す理想を考えてみるのもよいでしょう。


