金本位制とは、お金(紙幣や硬貨)と金(ゴールド)の交換を認める通貨制度です。
この通貨制度は第二次世界大戦前まで広く維持されていましたが、現在は管理通貨制度へ移行しており、お金と金(ゴールド)の交換は認められていません。
この記事では、金本位制から管理通貨制度へと移った歴史的背景をたどりながら、それぞれの制度のメリットとデメリットをわかりやすく解説します。
金本位制の歴史

まずは、金本位制の歴史を順番に見ていきましょう。
世界各国が、その時代に最も影響力の強い国に追随するかたちで通貨制度を変えてきたことが見えてくるはずです。
1816年 イギリスの貨幣法の誕生

今からおよそ200年前、イギリスで金本位制が初めて法律として認められました。貨幣法という法律が成立し、ソブリン金貨と呼ばれる通貨について、自由に溶解・鋳造することが認められました。
つまり、「金貨を溶かして作り直してもよい」ということです。これは事実上、その硬貨の価値が中に含まれる金そのものに裏付けられていることを認めたものでした。こうして金本位制の時代が始まります。
1871年 日本も金本位制へ
日本も金本位制へ移行することになります。
その理由は、イギリスが金本位制を採用したことで、国際的に金本位制が標準となったからです。日本も世界と貿易を行っていたため、これに合わせざるを得ませんでした。
しかし当時の日本は経済基盤が弱く、金貨が大量に国外へ流出してしまいます。
たとえば、外国人が日本に最先端の工業製品を売る一方で、その対価として大量の金貨を持ち帰りました。金の保有量以上には通貨を発行できませんから、日本経済は大きな制約を受けることになります。そこで日本は、銀も交えて兌換を認める金銀本位制へ移行しました。
1897年 日清戦争で勝利

日本は日清戦争に勝利し、多額の賠償金を受け取ります。
その莫大な資産を元手に、再び金本位制へ復帰しました。国際通貨としての信用を取り戻そうとしたことがうかがえます。
1914年 世界各国が金本位制を中断
第一次世界大戦で巨額の財政支出が必要になったため、世界各国は金本位制から離脱します。
多くの国が自国の金の流出を恐れ、金の国外流出を制限するとともに、通貨と金の兌換を停止しました。
1919年 アメリカが金本位制へ復帰
第一次世界大戦後、経済の安定を背景に、アメリカをはじめ多くの国が再び金本位制へ復帰します。
当時、覇権国だったイギリスは、金とポンドの交換レートを高く設定しすぎたため、国際競争力を失い、多くの金がアメリカへ流出してしまいます。この頃から、世界の覇権は徐々にイギリスからアメリカへ移り始めます。
1929年 世界大恐慌が起こる

世界大恐慌が起こり、各国は再び金本位制から離脱することになります。
世界大恐慌の原因については、多くの歴史家や経済学者がさまざまな見解を示しており、単純に1つに特定することはできません。詳しくは下記リンクで解説しています。
ただし主要な原因の1つとして考えられているのが、恐慌前にお金の供給量が極端に減ってしまったことです。当時のアメリカの中央銀行は、流通する通貨や証券には十分な裏付け資産が必要だという方針に転換しました。その結果、お金の供給量はおよそ3分の1程度にまで減少したとされています。
お金の供給量が減れば、お金の価値は上がります。すると人々は商品を買わなくなり、物価は下がります。物価が下がれば企業の収入や人々の所得も減り、さらに物価が下がるという悪循環が生まれます。銀行は取り付け騒ぎに直面し、金との兌換を維持できなくなりました。こうして金本位制は深刻なデフレ圧力に耐えきれなくなったのです。
モノの値段は需要と供給で決まります。これは通貨にも当てはまります。下記リンクでは、ミクロ経済学における価格決定の考え方を詳しく解説しています。
1930年 日本も金輸出を停止
各国が恐慌に陥るなか、日本は比較的安定していました。しかし世界的に金需要が高まるなかで、日本からも金が大量に流出するようになります。
そのため日本政府も、金の輸出を停止せざるを得なくなりました。
1933年 アメリカは個人の金保有を禁止する

アメリカ大統領ルーズベルトは、国民による金の保有を禁止しました。そして1オンス=20.67ドルで国民から金を買い上げます。
急激なデフレに苦しむアメリカは、金を回収し、その代わりに通貨を供給することで、強制的に市場のお金を増やし、恐慌からの脱却を図りました。
1934年 ブレトンウッズ体制へ向けて
1934年以降、アメリカは1オンス=35ドルで、各国の通貨当局に対して金を引き渡す体制を整えていきます。
世界各国は、1939年から1945年にかけての第二次世界大戦の戦費を賄うために、多くの金をアメリカへ差し出すことになります。その結果、アメリカには大量のゴールドが集まり、世界最大の金保有国となりました。
第二次世界大戦後、疲弊した各国は、ゴールドに裏付けられた米ドルと固定相場を結ぶことを決定します。これがブレトンウッズ体制であり、米ドル金為替本位制へと移行することになります。
1971年 ニクソンショック

第二次世界大戦後、アメリカはヨーロッパ諸国への多額の支援を通じて世界経済の中心に立ちましたが、その体制にも次第に限界が見え始めます。
ヨーロッパや日本が戦後復興を遂げ、ドルを大量に保有するようになる一方で、アメリカはベトナム戦争の長期化によって巨額の財政赤字を抱えるようになります。
それに伴い、アメリカの金保有量は徐々に減少し、最盛期の3分の1ほどにまで縮小しました。こうしたなかで、「保有しているドルは本当に金と交換できるのか」という疑念が広がり、多くの国がドルを手放して金への交換を求めるようになります。
この状況を見たニクソン大統領は、米ドルと金の兌換維持は不可能だと判断し、金との交換停止を宣言しました。
ニクソンショックの影響については、下記リンクで詳しく解説しています。
1973年 固定相場制から変動相場制へ移行
それまで各国は米ドルとの固定相場制を維持していましたが、米ドルと金の兌換停止によって、米ドルの価値を従来のように支えることができなくなりました。
その結果、米ドルとの固定相場制は廃止され、各国通貨の需給に応じて価格が変動する変動相場制へ移行します。
これにより、200年以上続いた「金(ゴールド)を基準に通貨価値を支える」という発想から、世界は大きく解放されることになりました。
金本位制の歴史をまとめると下記の通りです。
| 1816年 | イギリスで貨幣法が成立。ゾブリン金貨が自由鋳造、自由融解が認められ、金本位制に。19世紀末には金本位制が国際的に確立 |
| 1871年 | 日本も金本位制へ移行したが、経済基盤が弱かったため、金が国外に流出。事実上、金銀本位制となる。 |
| 1897年 | 日清戦争の賠償金を元に金本位制に復帰 |
| 1914年 | 第一次世界大戦により各国政府は金本位制を中断。その理由は、各国が政府支出を増やさなければならなかったため、金の流失を制限し、兌換を停止せざるを得なかったため。 |
| 1919年 | アメリカが金本位制に復帰。各国が続く。 |
| 1929年 | 世界大恐慌により金本位制が機能しなくなる。各国が離脱。 |
| 1930年 | 一度は日本は金解禁(金輸出再開)したが、貿易赤字がかさみ、金輸出を再度禁止 |
| 1933年 | 金融恐慌を皮切りにルーズベルト大統領が、国民の金保有を禁止して、1オンス=20.67ドルで買い上げる。これは政府がインフレ政策を取れなかったため行われた。 |
| 1934年 | アメリカは1ドル=35ドルで買い上げ価格を定め、外国通貨当局に金を引き渡すよう要請した。第二次世界大戦後、米ドルとの各国の通貨は固定相場制をとることで、間接的な金本位制を取ることとなる。(米ドル金為替本位制)いわゆる、ブレストンウッズ体制となる。 |
| 1971年 | ニクソンショック以降、米ドルと金の兌換は禁止される。 |
| 1973年 | 各国が変動為替相場制に移行。金本位制から完全に離脱。 |
金(ゴールド)とは何だったのか?
金本位制の歴史をたどると、ある本質的な疑問に行き着きます。
それは、そもそも金(ゴールド)とは何なのか?という問いです。200年前のイギリスで「1ポンドは金と交換できる」と定めた背景には、「金には価値がある」という前提がありました。
つまり、金とは何かと問われれば、「価値があると人々に信じられているもの」だと言えそうです。少し曖昧に聞こえるかもしれませんが、金の本質はまさにそこにあります。
金は非常に希少で、世界全体の金を集めても50mプール数杯分ほどしかないと言われます。しかし「珍しいから価値がある」というだけでは十分ではありません。珍しいだけでなく、多くの人が「価値がある」と信じてはじめて価値が成立します。
金は希少で、美しく、重く、しかも劣化しにくい性質を持っていました。共同幻想を支える条件として十分だったのです。多くの人が「これは価値あるものだ」と認めたことで、金はお金の土台となりました。
さらに金は、引き延ばしやすく、細かく分けやすく、価値を測る材料としても便利でした。こうした性質が重なって、金は通貨制度の中心に置かれるようになったのです。
金本位制のデメリット: 金の呪縛
金本位制の大きなデメリットは、重商主義に傾きやすいことです。
重商主義とは、輸入をすればするほど国外へ金(ゴールド)が流出し、国が貧しくなると考える立場です。国家は保有する金以上の通貨を発行できませんから、外国から物を輸入するほど通貨発行余力が減り、経済は縮小しやすくなります。
ちなみに、この重商主義的な考え方を批判したのが、経済学の父アダム・スミスです。彼は、国の豊かさは金の量ではなく、国内に存在するモノやサービスの豊かさで測るべきだと主張しました。
歴史を振り返ると、金本位制が比較的うまく機能したのは、主に下記のような状況に限られます。
- 産業革命によって輸出競争力が圧倒的だった19世紀初頭のイギリス
- 第一次世界大戦後のアメリカ
- 第二次世界大戦後のアメリカ
つまり、金本位制は、経済的に圧倒的に強い国が大量の金を保有できる状況でこそ成り立ちやすい制度だったと言えます。
また、金本位制には別の大きな欠点もあります。経済基盤の弱い国では、金の保有量がそのまま通貨発行量の上限になるため、極めてデフレになりやすいことです。
実際、第一次世界大戦後のドイツは、多額の賠償金と金本位制の制約によって通貨不足に陥り、深刻なデフレと社会不安に苦しみました。それが独裁者を生み、戦争へとつながっていった面もあります。当時の研究でも、金本位制から早く離脱した国の方が、経済回復が良好だったという結果があります。
つまり、経済制度は単に生活水準を左右するだけでなく、国家間の緊張を高め、最悪の場合は戦争さえ生み出すほど大きな力を持っているのです。私たちはその巨大な力をどう制御するかを、200年以上にわたって模索し続けてきたとも言えます。
金本位制のメリット
金本位制は、もちろんデメリットばかりではありません。
大きなメリットの1つは、自国通貨の価値を安定させやすいことです。私たちが日本円を信じて使えるのは、日本政府や中央銀行に対する信頼があるからです。
中央銀行の仕組みについては、下記のリンクで解説しています。
もしその信頼が失われれば、通貨価値は下がり、ハイパーインフレを引き起こしかねません。
つまり、国家への信頼が弱い国にとっては、金本位制は一定の安定装置として機能する可能性があります。ただしその反面、デフレを起こしやすく、経済を積極的に活性化させにくいという弱点があります。経済循環の仕組みについては、下記を読むと理解しやすくなります。
逆に言えば、管理通貨制度は、国家の安定、民主主義、制度の信頼性があってはじめて成り立つ制度です。実際、新興国の中には、自国通貨だけでは信用が足りず、米ドルとの一定比率での交換を保証している国もあります。
まとめ
金本位制の歴史的な流れと、そこから見えてくるメリット・デメリットをまとめました。
管理通貨制度へ移行してから約半世紀、世界各国はインフレとデフレを厳格に管理しながら、国家経済の安定に努めてきました。その結果、大規模な戦争を回避できただけでなく、世界金融危機も何とか乗り越えてきました。
しかしその一方で、世界の借金は増え続け、財政破綻する国も現れています。また、先進国の生産性の伸びは鈍化しており、金利もゼロ近辺に張り付いています。既存の金融政策だけでは限界が見え始めているとも言えるでしょう。私たちは、この45年以上の管理通貨制度の歴史を振り返り、新たな制度を模索する時期に来ているのかもしれません。
金本位制から管理通貨制度へ大きく移行したように、今後もまた根本的な転換が求められる可能性があります。下記リンクでは、新たな考え方として注目されるMMTについて解説しています。著名投資家レイ・ダリオも言及しています。



通貨の価値と金の価値が等しくなる金本位制は、第一近似だ。
第二近似としては、金本位制の通貨であっても、インフレは必要だ。
金本位制の通貨であっても、毎年、金との交換比率は下げ続けるべきだ。
通貨の発行残高は増え続けなければ、デフレになってしまう。
通貨には流通性があるから、インフレがあっても、通貨が金よりも選好される場面はあるべきだ。
通貨によって、金を禁止するのではない。
金にも通貨にも、適切な選好場面を用意してやるのだ。