5分で分かるニクソンショック – 原因や影響を分かりやすく解説 –

ニクソンショックはドルショックとも呼ばれ、ドルと金の兌換を停止したことです。

1971年に起こりました。この事件をきっかけに、金・ドル本位制と固定相場制の時代が終了しました。

この記事では、世界経済の根幹の仕組みを大きく揺るがしたこの大事件の原因や、その後、各国に与えた影響について見ていきます。

ニクソンショック以前の通貨制度

ニクソンショック以前の通貨制度は、ブレトンウッズ体制と呼ばれ、ドルのみが金との兌換を認める制度でした

そして、世界各国の通貨は、唯一金との兌換を認められたドルとの固定相場制を通じて、貿易を行うことを取り決めました。

この制度は、世界経済の円滑化と安定を目的として作られましたが、ではなぜ、ドルのみが金との兌換を許すこの制度が世界経済を安定化させるのでしょうか?その理由について考えます。

ブレトンウッズ体制がとられた背景

ブレトンウッズ体制がとられる1945年の10年ほど前から、アメリカは1オンス=35ドルで、世界の通貨当局に金を引き渡すように要請を開始します。

世界各国は、1939年から45年に行われた第二次世界大戦の戦費を賄うために、多くの国がアメリカに金を引き渡し資金を捻出しました。それによりアメリカには大量のゴールドが集まることとなり、世界一の金保有国となります。

第二次世界大戦後に、大戦で疲弊した各国は、通貨も不安定になります。アメリカは戦争の舞台にならなかったため、盤石な経済基盤が維持されたまま、大量の金を保有していました。

そのため、安定的なドルと世界各国の通貨との固定相場制をとることで、いつでも同じレートで各国の通貨を交換できるようにしました。例えば、日本では1ドル=360円に固定されました。必ず金と裏付けられたドルと交換することができるため、通貨が安定するというわけです。

そして、このブレトンウッズ体制による通貨の安定と、アメリカによる経済支援によって、多くの国は劇的に経済復興することとなります。

戦火国の復興とベトナム戦争

ブレトンウッズ体制によって、イギリスやドイツ、日本は経済復興を果たすこととなります。

日本も高度経済成長期を迎え、豊かな国へと変貌を遂げます。特に、自動車などの工業製品は、アメリカへの輸出を増やしました。固定相場制は、戦争後の不安定な時代に作られたレートなので、日本円の価値が低く、日本の工業製品は、アメリカで安く売ることができました。イギリスやドイツにおいても同様で、戦後復興を果たすとともに、有利な為替レートによって多くの製品をアメリカに輸出しました。

一方で、アメリカはベトナム戦争が泥沼化し、財政赤字を膨らませることとなります。戦争には多額のお金が必要ですから、ドルはどんどん国外に流失します。

第二次世界大戦の戦後復興による、アメリカの貿易赤字と、ベトナム戦争による財政赤字によって、アメリカのドルは国外に流失していきます。そして、第二次世界大戦後には、膨大な金を保有していたアメリカですが、この頃には全盛期の1/3ほどへと金保有を減らすこととなります。

ニクソンショックが起こる

アメリカは財政的に困難を極める中で、1971年にイギリスがアメリカへ30億ドルの金の兌換を申し出ました。

アメリカは金保有高を大きく減らしている中で、この申し出を受け入れることが困難と判断しました。

そして、下記条項を米大統領のニクソンが宣言し、アメリカの金とドルの兌換が停止することとなります。さらには、輸入品には10%の課徴金を課すことによって自国産業の防衛をしました。これにより貿易赤字からの脱却を目指しました。

ニクソンショックとは?
  • 1971年に起きた出来事
  • 米ドルと金(ゴールド)との兌換停止
  • 輸入品に10%の課徴金を課す

ニクソンショックの3つの原因

ニクソンショックが起きた背景には、3つの原因が存在します。

  1. 第二次世界大戦国への経済援助費用の増大
  2. ベトナム戦争での出費の増大
  3. 社会政策費用の増大 

順番に解説していきます。

. 第二次世界大戦国への経済援助費用の増大

先程も説明した通り、アメリカは日本や戦火となった西側諸国に経済援助を続けました。冷戦下でロシアとの対立を強めるアメリカは、積極的に西側諸国に経済支援を続けました。

その理由は、ロシア率いる社会主義陣営が世界に広がらないためにも、アメリカ主導の資本主義体制によって経済発展している必要性があったからです。

ドイツや日本などの、ロシアや東欧諸国との境目となる国は特にアメリカからの強い経済支援を受けるとともに経済発展したわけです。

アメリカは良心から経済支援したわけではありません。社会主義陣営の広がりを防ぐ防波堤として、自衛のために、様々な国へ経済支援を続けざるを得なかったわけです。

. ベトナム戦争での出費の増大

ベトナム戦争も、社会主義陣営と資本主義陣営の「代理戦争」ともよばれ、各陣営に分かれて、それぞれの陣営をアメリカとロシア・中国が支援をする形で戦争を行いました。

アメリカはベトナムを重要な拠点だと考えており、なんとしても資本主義陣営に収めたいと考え、戦争が泥沼化していきます。

戦費も膨れ上がり、アメリカは最終的には撤退を余儀なくされるわけですが(アメリカの初めての敗戦となる)その痛手は非常に大きく、赤字を拡大します。

. 社会政策費用の増大

アメリカは1929年の大恐慌を乗り越えるために、様々な財政支出拡大政策をとり続けていました。

代表的なものは、ルーズベルトのニューディール政策で、経済学者ケインズが提唱する経済政策を具現化したものでした。

5分でわかるケインズの雇用・利子および貨幣の一般理論 | ケインズ経済学の基礎

ニューディール政策は、簡単に言うと、政府がダムを作ったり、インフラを作ったりといった公共投資を増やすことによって、経済を活性化する方法です。ダムを作るには人手がいりますから、賃金が支払われます。労働者はレストランなどでお金を使うので、レストランも儲かります。そうして経済を循環させて、ダムを作るための財政支出は、経済活性化で得た税金でまかなえば良いと言う考え方です。

しかし、実際には、財政支出によって、拡大した財政赤字は、税金で賄われることはありませんでした。多くの政治家が、当選するために、人々に有利な政策を掲げたため、雪だるま式に赤字は増えていく結果となりました。

ニクソンショックが起こる頃には、かなりの財政支出額となっており、これが財政を圧迫する要因ともなりました。

ちなみに、アメリカは上記のようなケインズ型の経済政策の反省から、フリードマンの新自由主義と呼ばれる政策に舵を切り始めます。しかしこの政策は格差や貧困を生み出すこととなりました。詳しくは下記のリンクで解説しています。

5分でわかるフリードマンの「資本主義と自由」- 新自由主義をわかりやすく解説

ニクソンショックが与えた影響

ニクソンショックが与えた影響は計り知れません。1973年に変動相場制に移行してから、ドルのレートは低下し、1ドル=200円を割り込むことになりました。

もともと1ドル=360円から、これだけドルの価値が下がれば各国の輸出産業は大打撃を受けます。輸出が振るわなくなった各国は、国内需要の拡大のために躍進することとなります。

日本においては、日銀の金利である公定歩合を引き下げました。安くお金を借りることができますから、投資が活発になり、空前の好景気をら巻き起こしました。結果的には、投資が加熱になりすぎたためバブルとなったわけですが、それだけ世界経済に影響を与えたと言うわけです。

また、ヨーロッパにおいてはEC(EUの前身)が発足しました。その理由は、ニクソンショックにより、ヨーロッパの国内通貨がそれぞれ変動すると、例えばドイツの通貨が5%上昇し、イギリスの通貨が5%下落した場合、最大で10%も変動することとなります。

ヨーロッパの域内の貿易は互いに依存する形で経済が維持されていたため、これだけ変動しては経済が大打撃を受けます。そのためヨーロッパ全体で通貨を安定させようという動きになります。ユーロの誕生もニクソンショックがきっかけとも言えるわけです。

以上のように、ニクソンショックは、経済の大きな大転換であり、世界の政策に大きな影響を与えました。そしてそれは、現在でも影響を与え続けているとも言えるわけです。

まとめ

ニクソンショックが起きた背景と、その原因や各国に与えた影響についてまとめました。

歴史を振り返ると、世界は通貨を安定させるために様々な手段を講じてきていることが見て取れます。そして現在も、世界経済の安定は、通貨の安定に大きく依存しているとも言えるわけです。

そのような不安定さを乗り越えるために、新たな考え方やテクノロジーも生まれてきています。

例えばMMTなど、全く新しい経済的な考え方も生まれていますし、仮想通貨などのテクノロジーは、通貨に選択の自由を与えることで、一国の通貨に依存することを無くすことができます。もしかすると、ニクソンショックの様なコペルニクス的転回が今後起こるのかも知れません。

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