10分でわかる金本位制 – わかりやすく誕生や崩壊の歴史を解説 –

金本位制とは、お金(紙幣や硬貨)と、金(ゴールド)の交換を認める通貨制度です。

この通貨制度は、第二次世界大戦の前まで維持されていましたが、現在は管理通貨制度となり、お金と金(ゴールド)の交換は禁止されています。

この記事では、金本位制度から管理通貨制度へと変化した歴史的背景を知るとともに、各制度のメリットやデメリットを理解します。

金本位制の歴史

金本位制の歴史を順番に見ていきます。

世界各国が、当時影響力の強い国に追従する形で通貨制度を変えていることが理解できるかと思います。

1816年 イギリスの貨幣法の誕生

今からおよそ200年前のイギリスで金本位制度が初めて法律で認められました。貨幣法という法律が成立し、ゾブリン金貨とよばれる通貨が、自由に融解して、鋳造することを認められました。

つまり、「金貨を溶かして、再生成しても良いよ」ということです。事実上その硬貨の価値は、その硬貨の成分が後ろ盾にあるということを認めたことでした。そうして金本位制の幕が開きます。

1871年 日本も金本位制へ

日本も金本位制へと移行することとなります。

その理由は、イギリスが金本位制を採用したことで、国際的に金本位制がスタンダードとなったためです。日本も世界と貿易を行っていましたから、移行せざるを得ない状況でした。

しかし、当時の日本は、経済基盤が貧弱であり、金貨が大量に国外に流出します。

例えば、外国人が日本に最先端の工業製品を売るとともに、大量の金貨を持ち帰りました。金の保有量しか、通貨を発行できませんから、日本は非常に貧しくなったわけです。そこで日本は銀も交えて兌換を許す金銀本位制へと移行します。

1897年 日清戦争で勝利

日本は日清戦争に勝利し多額の賠償金を受け取ります。

その莫大な資産を元手に金本位制へと復帰します。国際的な通貨としての地位を取り戻そうとしたことが伺えます。

1914年 世界各国が金本位制を中断

第一次世界大戦で多額の財政支出を賄うために、世界各国が金本位制から離脱します。

多くの国が、自国の金の流出を危惧し、金の流失制限と、通貨の金との兌換を停止することとなります。

1919年 アメリカが金本位制へ復帰

第一次世界大戦後に、経済的な安定を機に、アメリカをはじめ世界各国が金本位制へ復帰します。

当時、覇権国であったイギリスは、金とポンドのレートを非常に高く設定したため、国際競争力を失い、アメリカに多額の金が流失してしまいます。この頃から、覇権がアメリカへと移りはじめます。

1929年 世界大恐慌が起こる

世界大恐慌が起り、世界各国は再び金本位制から離脱することとなります。

世界大恐慌の原因は、多くの歴史家、経済学者が様々な見解を述べています。そのため、原因を特定して述べることは非常に難しいです。下記リンクで詳しく解説しています。

世界恐慌の原因と発生メカニズムを分かりやすく解説 – 影響や各国の対策も解説 –

しかし、主要な原因と考えられるのは、世界恐慌の前にお金の供給量が、極端に少なくなったことだとです。当時のアメリカの中央銀行の総裁は、流通する通貨や証券は、裏付けとなる物品があるべきだという方針転換をしました。それによりお金の供給量が1/3程度になりました。

お金の供給量が減れば、お金の価値が上がりますから、多くの人の商品の買い控えが起りました。そして、物価が下がり、所得が減り、さらに物価が下がるという悪循環となることになります。銀行は取り付け騒ぎとなり、金との兌換を停止せざるを得なくなりました。

物の値段は需要と供給で決まります。それは通貨においても同じです。下記リンクでミクロ経済学における価格決定の考え方を詳しく解説しています。

10分でわかるミクロ経済学 – 需要曲線や供給曲線をわかりやすく解説

1930年 日本も金輸出を停止

各国が恐慌となる中で、日本は比較的盤石でした。世界からの金需要が高まる中で、日本からも金が大量に流出するようになります。

日本政府も、金の輸出を停止せざるを得ない状況となります。

1933年 アメリカは個人の金保有を禁止する

アメリカの大統領のルーズベルトが、国民の金保有を禁止します。国民から1オンス=20.67ドルで買い上げます。

急激なデフレに悩まされるアメリカは、金を買い取ることで、強制的に通貨の流通を増やし、恐慌からの脱却を図ります。

1934年 ブレストンウッズ体制へ向けて

1934年からアメリカは、1オンス=35ドルで、世界の通貨当局に金を引き渡すように要請を開始します。

世界各国は、1939年から45年に行われた第二次世界大戦の戦費を賄うために、多くの国が金を引き渡すことになります。それによりアメリカには大量のゴールドが集まることとなり、世界一の金保有国となります。

第二次世界大戦後に、大戦で疲弊した各国は、ゴールドに裏付けられた米ドルとの、固定相場制をとることを決定します。これはブレストンウッズ体制とよばれ、米ドル金為替本位制へと移行することとなります。

1971年 ニクソンショック

アメリカは、第二次世界大戦後に、ヨーロッパ諸国に多額の支援をすることで、ゴールドを抱えることとなりましたが、そこに陰りが見えはじめます。

ヨーロッパや日本は、戦後に経済復興をするとともに、ドルを蓄財するようになり、またアメリカはベトナム戦争が泥沼化して、多額の財政赤字を抱えることになります。

それとともに、徐々にアメリカの金保有額は減っていき、全盛期の1/3ほどへと縮小しました。そのような状況下で、多くの国がアメリカへの不信感を募らせました。蓄財したドルは、金と交換できるのだろうか?という疑念が広がり、多くの国がドルを手放し、金と交換しはじめます。

その状況を見たニクソンは、米ドル金為替相場制の維持は不可能と判断し、米ドルと金の兌換を停止します。

ニクソンショックでの影響は下記リンクで詳しく解説しています。

5分で分かるニクソンショック – 原因や影響を分かりやすく解説 –

1973年 固定相場制から変動相場制へ移行

米ドルとの固定相場制が維持されていましたが、金との兌換を停止したことで米ドルの価値を維持できなくなりました。

そこで、米ドルとの固定相場制を廃止して、各国の通貨需要に応じて変動する、変動相場制へと移行します。

これにより、200年以上に渡る、金(ゴールド)を求める呪縛から完全に解放されることとなります。


金本位制の歴史をまとめると下記の通りです。

年代
出来事
1816年イギリスで貨幣法が成立。ゾブリン金貨が自由鋳造、自由融解が認められ、金本位制に。19世紀末には金本位制が国際的に確立
1871年日本も金本位制へ移行したが、経済基盤が弱かったため、金が国外に流出。事実上、金銀本位制となる。
1897年日清戦争の賠償金を元に金本位制に復帰
1914年第一次世界大戦により各国政府は金本位制を中断。その理由は、各国が政府支出を増やさなければならなかったため、金の流失を制限し、兌換を停止せざるを得なかったため。
1919年アメリカが金本位制に復帰。各国が続く。
1929年世界大恐慌により金本位制が機能しなくなる。各国が離脱。
1930年一度は日本は金解禁(金輸出再開)したが、貿易赤字がかさみ、金輸出を再度禁止
1933年金融恐慌を皮切りにルーズベルト大統領が、国民の金保有を禁止して、1オンス=20.67ドルで買い上げる。これは政府がインフレ政策を取れなかったため行われた。
1934年アメリカは1ドル=35ドルで買い上げ価格を定め、外国通貨当局に金を引き渡すよう要請した。第二次世界大戦後、米ドルとの各国の通貨は固定相場制をとることで、間接的な金本位制を取ることとなる。(米ドル金為替本位制)いわゆる、ブレストンウッズ体制となる。
1971年ニクソンショック以降、米ドルと金の兌換は禁止される。
1973年各国が変動為替相場制に移行。金本位制から完全に離脱。

金(ゴールド)とは何だったのか?

金本位制の歴史を辿ると、本質的な疑問へと行き着きます。

それは、金(ゴールド)とは何か?ということです。200年前にイギリスで成立した、1ポンドを金と交換できるという法律は、「金は価値があるものである」という前提が背景にあります。

つまり、金とは何か?と問われれば、金とは価値があるものだ、ということは言えそうです。何か煙に巻くような議論ですが、金は価値があるということ自体が、金の本質なのです。

金は非常に珍しく、世界にほとんど存在しません。全世界の金をかき集めても、50mプール3つ分の量しかないと言われています。しかし、珍しいから価値があるんだ!というのも異なります。珍しいものだと、多くの人が認めた時に価値が生まれます。

金は、珍しく、美しく、そして非常に重く、劣化しませんでした。多くの人の共同幻想を作り出すには必要十分と言えました。みんなが価値があるものだという幻想を生んだわけです。

もちろん金は、機能的にも引き伸ばしやすく、細かく細分しやすかったので、価値を測るのには便利でした。これら理由が重なり、金は価値があるという認識を生み出したわけです。

金本位制のデメリット: 金の呪縛

金本位制の如実なデメリットは、重商主義になりやすいと言うことです。

重商主義とは、輸入すればするほど、国外に金(ゴールド)が流出するため国民は貧しくなると言う考え方です。国家は金保有量よりも多くの通貨を発行することができませんから、外国から物品を輸入すればするほど貧しくなっていきます。

ちなみに、重商主義の考え方は、経済学の父であるアダム・スミスが批判しています。国民の豊かさは、国に溢れる物品などの富で測られるべきだとしています。

5分でわかるアダム・スミスの国富論(諸国民の富)- わかりやすく要約

歴史的な推移を見ても、金本位制が維持できているのは、下記の状況のみです。

  • 産業革命によって対外輸出が圧倒的だった19世紀初頭のイギリス
  • 第一次世界大戦後のアメリカ
  • 第二次世界大戦後のアメリカ

つまり、経済的に圧倒的な国が、多くの金を保有可能な状況下において、成立する制度だと言えそうです。もちろん結果的にそうなっただけかもしれませんが。

金本位制のデメリットは、さらに言うと、経済基盤が弱い国にとっては、金の保有量が通貨発行量を制限するため、極めてデフレになりやすいという点です。

現に、第一次世界大戦後のドイツでは、多額の賠償金と金本位制により通貨が足りなくなり深刻なデフレに悩まされました。それが、独裁者を生み、戦争を引き起こしたのです。当時の研究でも、金本位制を脱した国の方が経済的パフォーマンスが良いと言う結果もあります。

つまり、経済は我々の生活水準に関係するだけでなく、国家間の緊張を生み、戦争を生み出すほど巨大な力を有しているわけです。我々はこの巨大な力を適切にコントロールしようと200年にもわたって戦い続け、知識を蓄積してきたのだと言えます。

金本位制のメリット

金本位制はデメリットばかりではありません。

自国通貨を安定させることができると言う側面もあります。私たちが日本円の価値を信じて疑わないのは、日本政府や中央銀行に対しての信頼があるからです。

中央銀行の仕組みは下記のリンクで解説しています。

10分で分かる中央銀行の仕組み。中央銀行と紙幣の歴史

信頼が失墜してしまえば、通貨の価値が下がり、ハイパーインフレを引き起こします。

ハイパーインフレの原因をわかりやすく解説 – 歴史や対策を10分で解説

つまり、国家の信頼が揺らいでいる国によっては金本位制は有効に働きます。しかし、逆を言えば、デフレを引き起こしやすく経済は活性化しません。上記の経済循環の仕組みについては、下記を読めば理解できます。

10分でわかる経済の仕組み。最もわかりやすいお金の仕組みと本質

逆に、管理通貨制度は、国家的な安定と、民主主義、そして堅牢なシステムを構築し国民の信頼を得なければ成立が難しいです。現に、いくつかの新興国が、米ドルと一定割合での交換を保証しています。

まとめ

金本位制の歴史的な流れと、そこから見えてくるメリットやデメリットをまとめました。

管理通貨制度への移行から45年近く経過して、世界各国はインフレとデフレを厳格に管理し、国家経済の安定に努めてきました。その結果、大きな戦争が起こらなかったばかりでなく、世界金融危機を乗り越えることができました。

しかし一方で、世界の借金は増え続け、いくつかの国では財政破綻をしています。また、先進国の生産性の伸びは極めて鈍化しています。金利は0%近くに固定化されており、既存の金融政策では限界がきています。私たちは45年間の歴史の中で管理通貨制度で起きた問題を振り返り、新たな制度を打ち立てるべき時が来たのかもしれません。

金本位制から管理通貨制へと、ジャンプしたように、根本的な変換が求められているかもしれません。下記リンクで新たな考え方であるMMTについて解説しています。著名な投資家のレイ・ダリオも言及しています。

10分でわかるMMT(現代貨幣理論)- 基礎や批判をわかりやすく解説金融政策3(MP3)とMMT(現代貨幣理論)のレイ・ダリオの主張を和訳

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