ソクラテスの思想をわかりやすく解説|哲学とは何か・無知の知・ソクラテスの弁明

ソクラテスは、古代ギリシャに登場した最初の偉大な哲学者です。

彼の登場によって、それまで当たり前だった古代ギリシャ的価値観に大きな問いが投げかけられ、後の哲学の発展の土台が作られました。

この記事では、ソクラテスの思想を説明するだけでなく、「そもそも哲学とは何か」「なぜソクラテスが哲学の出発点になったのか」についても解説します。この記事を読めば、その後に登場するプラトンやアリストテレスの思想も理解しやすくなるはずです。

下記の記事では、哲学史全体を一気にわかりやすく解説しています。ざっくり哲学を理解したい方におすすめです。哲学とは何か?重要な哲学者の思想を歴史の流れでわかりやすく解説

哲学とは何か?

ソクラテスが始めた「哲学」という学問は、一体何なのでしょうか。

「哲学」と聞くと、つかみどころのない曖昧な学問だと思う人も多いかもしれません。しかし、哲学が問いの対象にしているものは、実はかなりはっきりしています。

哲学とは、簡単に言えば「存在とは何か?」を問う学問です。

哲学とは「存在」について考える学問

ここで多くの人がややこしいと感じます。特に日本人は、「存在なんて、あるものはあるだけでは?」と思いがちです。

しかし、西洋では、この「存在とは何か」という問いを徹底して考える知的運動が、ソクラテス以降ずっと続いていくことになります。

存在とは何か?

ここでは、「存在とは何か?」という問いを少し突き詰めてみます。

例えば、目の前にあるリンゴが「なぜ存在するのか」について、古代ギリシャの人々と、ソクラテス以降の人々のあいだには決定的な違いがあると、近代哲学者ハイデガーは指摘しています。

古代ギリシャの人々は、この世のありとあらゆるものはなり出でてあると考えていました。

この世の万物は、生き生きとした生命の運動によって生み出されている、という価値観です。日本の八百万の神にかなり近い感覚を持っていたと言えます。

一方で、ソクラテス以降の哲学者たちは、存在を作られてあるものとして考えるようになります。

正確には、ソクラテス自身がここまで明確に主張したわけではありません。しかし、彼の弟子であるプラトンによって、「作られてある」という思想は本格的に押し進められました。この思想は「プラトニズム」とも呼ばれ、以後のヨーロッパ世界を長く規定することになります。

ソクラテスは、プラトンが展開する「作られてある」思想の土台を準備した人物だと言えます。

プラトンの思想をわかりやすく解説|イデア論・存在論・哲学史への影響

つまりソクラテスは、古代ギリシャで当たり前だった「自然の中で、存在が生き生きとなり出でてくる」という世界観から離れ、「自然にあるものは、そのままでは価値を持たないのではないか」と問い始めるきっかけを作ったわけです。

ソクラテスの思想とは?

では、プラトン思想の土台を準備したソクラテス自身は、どのような思想を持っていたのでしょうか。

ソクラテスの特殊なところは、教訓や体系だった主張のようなものを、ほとんど持っていない点です。彼は徹底して、自分は何も知らないという立場を取りました。言い換えれば、「何も知らないことを知っている」という立場こそが、ソクラテスの思想でした。

ソクラテスの思想とは、この世に流通している知識や知恵を徹底的に問い直し、確かなものが何もないところまで立ち返る思想である

ソフィスト(知識人・学者)との問答

では、なぜソクラテスは、知識や知恵を否定するような立場を取ったのでしょうか。

その背景には、有名な「デルフォイの神託」の話があります。神託は「アテナイで最も賢いのはソクラテスである」と告げたとされます。しかしソクラテス自身は、自分が最も賢いはずがないと考え、さまざまなソフィスト(知識人・学者)と問答を重ねていきました。

その問答の中で、ソクラテスは、ソフィストたちが本当には知っていないのに、知っているつもりになっていることに気づきます。彼らは自分の知識を誇らしげに語りますが、問い詰めていくと、誤りや無知が露呈したというのです。

そこでソクラテスは、自分と彼らの違いは、「自分は何も知らないと知っている」点にあると自覚しました。この「無知の知」を持っているからこそ、神は自分を賢者だと言ったのだと考えたわけです。

ソクラテスの思想からプラトンへ

ソクラテスの思想は、世の中の知識や知恵、さらには古代ギリシャが培ってきた文化や価値観までも問い直すものでした。ある意味では、それまでの世界を一度まっさらにしたと言ってもよいでしょう。

しかし、ソクラテスの思想はそこで止まります。普通、何かを否定するのは別の何かを肯定したいからですが、ソクラテスは何かを積極的に肯定しませんでした。

アイロニー(皮肉)の語源
ソクラテスのように、何かを肯定するためではなく、ひたすら否定を貫くあり方を、もともとはアイロニー(皮肉)と呼びます。現代の「皮肉」とは少し意味が異なり、ソクラテスの場合は「否定のための否定」に近いものです。

そこで登場するのがプラトンです。彼は、「世の中のすべては価値がない」というソクラテス的な問い直しから、「世の中のすべては、真の姿の模造にすぎない」という考えへ進みます。

ここから、かなり西洋的な発想が強くなります。つまり、神のような超自然的な原理を設定し、その原理によって世界が「作られてある」のだという価値観へとシフトしていったのです。

プラトンについて詳しく知りたい方は下記で解説しています。

プラトンの思想をわかりやすく解説|イデア論・存在論・哲学史への影響

ソクラテスの思想の歴史的背景

では、なぜソクラテスは、ここまで徹底して「すべてを問い直す」思想へ向かったのでしょうか。それを理解するには、彼が生きた時代背景を見る必要があります。

ソクラテスが生まれたのは、第二次ペルシャ戦争終結の約10年後、紀元前469年ごろでした。戦争は終わっていたとはいえ、いつ再び外敵に襲われるかわからない不安定な時代で、ギリシャでは小規模な都市国家が並立していました。

その中でも大きな勢力がアテナイとスパルタです。アテナイは民主的な政治体制を持ち、スパルタは少数寡頭制に近い政治を行っていました。

この二つの勢力は、やがてペロポネソス戦争と呼ばれる長い戦争を続けますが、その激動の中でソクラテスは生きました。彼自身も戦争に従軍しています。

アテナイは民主政を採っていましたが、実際には非常に未熟で、しばしば衆愚政治と批判される状態でした。

衆愚政治とは?
腐敗した民主政治の一形態。古代ギリシアでは、大衆が政治に参加する民主主義は、結局は愚劣で堕落した政治に陥ると考えられることがあった。近代以降でも、貴族主義者やエリート主義者は同様の懸念を抱いてきた。コトバンク

弁が立つだけで中身のない人間でも、民衆を扇動して政治を動かせるような状況がありました。たとえば、スパルタ側に寝返った小国を皆殺しにしようという極端な案が可決されるほどでした。こうした愚かな政治の積み重ねが、アテナイを弱体化させていきます。

最終的にアテナイは敗北し、戦争の責任の一端はソクラテスにも向けられました。なぜなら、彼の弟子たちの中に反政府的な行動を取った者がいたからです。結果として、ソクラテスは死刑に処されることになります。

こうした激動の中で生きたソクラテスにとって、世の中の知識や常識が無意味に見えてしまったとしても不思議ではありません。彼が「あらゆる知識は疑わしい」と考えたのは、ある意味で当然の帰結だったのかもしれません。

ソクラテスの弁明とは何か?

ソクラテスは、まさに激動の時代を生き抜いた人物でした。最終的には死刑になりますが、その裁判までの経緯が『ソクラテスの弁明』に記されています。

この本を書いたのは弟子のプラトンです。実はソクラテス自身は、一冊も本を書いていません。プラトンがいなければ、ソクラテスはここまで広く知られる哲学者にはならなかったでしょう。

『ソクラテスの弁明』で語られている内容は、基本的には先ほど説明したソクラテスの思想に帰着しますが、特に重要な点が一つあります。

もともとソクラテスは、民主政を批判してアテナイを混乱に導いたとして訴えられました。ところが、彼は弁明の中で、「民主政を批判したのは事実だが、だからといって少数寡頭制を支持したわけでもない。少数寡頭制もまた否定する」と答えています。

つまり、彼は特定の政治体制だけを批判したのではなく、世の中にあるあらゆるものを問い直していたのだと弁明したわけです。

哲学を知るのにおすすめの本

木田 元 (著)

私が哲学を学ぶ上でおすすめしたい本は「反哲学入門」です。

さまざまな哲学本を読んできましたが、ここまで哲学史を体系的にまとめている本は多くありません。入門書としてこの一冊を読んでおけば、専門的な本に進んだときでもかなり理解しやすくなると思います。哲学とは何かという問いを軸に、さまざまな哲学者を整理しており、基礎理解の助けになります。

まとめ

ソクラテスの思想をまとめると、彼の核心は徹底的な「無知の自覚」と「問い直し」にあります。古代ギリシャでは自然な世界観が共有されていましたが、ソクラテスはそこに大ナタを振るい、一度まっさらに整地した人物だと言えるでしょう。

そのまっさらになった土地の上に、プラトンが「作られてある」思想を打ち立て、西洋哲学の大きな流れを作っていきます。その意味で、ソクラテスは単に一人の皮肉屋ではなく、後の哲学史全体の出発点となった人物です。

もしプラトンがいなければ、ソクラテスはここまで偉大な哲学者として伝わらなかったかもしれません。しかし、プラトンが『ソクラテスの弁明』をはじめとする著作でソクラテスを伝えたからこそ、彼の問いの力が後世まで残ることになりました。

続いて、ソクラテスの弟子であるプラトンについて知りたい方は、下記のリンクで解説しています。

プラトンの思想をわかりやすく解説|イデア論・存在論・哲学史への影響

2 COMMENTS

sumishi

最終的には、アテナイの敗北、そしてスパルタの勝利でこの戦争は終結する訳ですが、戦争の戦犯をアリストテレスは取らされることになります。なぜアリストテレスが犯罪人として扱われたのかというと、彼の弟子たちが戦争で反政府的な活動をしていたからで、結局ソクラテスは死刑になってしまいます。

という文の中で、アリストテレスと表記されている箇所はソクラテスと訂正して解釈するべきでしょうか。

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numa56

こちらご指摘いただきありがとうございます。文章を修正してアップロードしました。

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