10分で分かる民主主義 – わかりやすく歴史や日本でいつから始まったのかを解説

 民主主義という言葉は日常よく耳にします。しかし、その定義を「明確に」答えられる人は少ないでしょう。その理由は、定義する範囲が非常に広く、さらには「政治学」や「経済学」の考えが混ざり合っているからです。

この記事では曖昧な民主主義の概念を誰でもわかりやすく解説します。まず、民主主義とは何かを解説し、その後、民主主義が辿ってきた歴史を見ていきます。歴史を知ることで民主主義の輪郭がはっきりするはずです。

民主主義とは何か?

民主主義は「人民の意見が反映される政治体制」のことです。

英語で民主主義はデモクラシーと呼びますが、「デモ」が人民、「クラシー」が権力を意味しています。つまり民主主義は人民が権力を持つということを意味します。

では「人民の意見が反映される政治体制」をどのように実現しているのでしょうか?

それは、数多くの「民意を反映する部品(思想や制度)」によって実現しています。例えば「男女平等」や「普通選挙制」「人権(自由と平等)」などです。

「多様な人民」の「多様な意見」を政治に反映するために、多くの「部品」が存在しています。これら「部品」を理解することで民主主義をより詳細に理解することができるわけです。しかし、この「部品」は歴史とともに大きく変化しているため、それが「民主主義」を曖昧なものにしています。

そのため、次は「民主主義の歴史的な変容」を解説していきます。歴史的にどう変化してきたのか知ることで、民主主義の全体像を理解できます。

民主主義のはじまり

民主主義の誕生は古代ギリシャで誕生しました。しかし、全くうまくいきませんでした。その理由は、当時の民主主義は人民全員が政治の代表者となる直接民主制だったからです。決して適任ではない人まで政治に参加したため衆愚政治と揶揄されるようになります。

衆愚政治とは?
多数の愚民による政治の意で、民主政を揶揄して用いられる言葉。 暴民政治(ぼうみんせいじ)とも呼ばれる。

民主主義は、ギリシャで上手くいきませんでした。そのため長い間、民主主義は愚かな政治制度の代表として日の目を見ることはありませんでした。長い期間、寡頭制という制度が取られ続けます。

寡頭制とは?
全部または大半の政治権力を、特定の少数の人々が握っている政体。 少数者支配の体制であり、対比語は多頭制(多数支配)である。 

そんな中で再び「民主主義」が日の目を見ることになるのは17-18世紀ごろの市民革命以降になってからです。この頃に「国民主権」「基本的人権の尊重」「法の支配」「民主的政治制度」などの原型が誕生します。

これら考え方を体系化した人物は「ホッブス」「ロック」「ルソー」などです。政治経済の授業では絶対に欠かせない人物ですね。ここから民主主義が始まっていきます。

民主主義が初めて体系化される ホッブス

民主主義を初めて理論化した人物はホッブスという哲学者です。なぜ哲学者?と思うかもしれませんが哲学は、存在とは何か?を考える学問です。「国のあり方とはどうあるべきか?」「政治のあり方はどうあるべきか?」を考えていたのは当時は皆「哲学者」でした。

ホッブスについて詳しくは下記のリンクで解説しています。著書「リヴァイアサン」の中で詳しく書かれています。

10分でわかるホッブスの「リヴァイアサン」 – 思想をわかりやすく解説

ホッブスは、著書「リバイヤサン」の中で下記のように記しています。

人間にとって最高の価値は

  • 生きる権利(自然権)
  • 生命の尊重(自己保存)

であると述べています。

この時、政府が存在しない無法地帯(自然状態)の場合、各人が自衛のために武器を取るだろうと考えます。そうなると、きっかけ1つで争いが発生し、身を守るためだったはずが逆に闘争状態になるだろうと考えます。この考え方は当たり前ですよね。政府が支配しなければ、日本も無法地帯となるはずです。

では、人々はどうすれば良いのか?ここから脱するには全ての人が生きる権利(自然権)をすべて政府に預ければ良いんだと考えます。そしてその権利を預けた政府が強大な力を持ち(コモンパワー)その力を持つ1人として国家に所属したら良いと考えます。

ここで注意しなくてはいけないのは、力を一か所に集めたからといって、その力を放棄してるわけではありません。その巨大な力を行使できる一員としてコミュニティに参加するということです。

ではその強大な力(コモンパワー)を誰が行使するのでしょうか?ホッブスは、共同社会の利益を追求する代表者が行うべきだと説きます。そしてその代表者が制定する法律に従って行動すれば、生きる権利(自然権)が保証されると説きます。

このホッブスの考え方は、国家権力の強大なパワーは民衆の自然権の集合なのだから、そのパワーを民衆の自然権の確保のために使うべきだという考えです。今まで国王や貴族が私利私欲のために利用してた国家の力は、そもそも人民のものだという大転換を迎えます。

議会制民主主義のはじまり ロック

ジョン・ロックは、今日では当たり前となった「議会制民主主義」の原型を作った人物です。

議会制民主主義とは何か詳しく知りたい方は下記の記事で解説しています。

10分でわかる議会制民主主義 – わかりやすく利点や問題点を解説

彼の著書「統治二論」の中で、最高権力は国王・上院・下院からなる立法部=議会にあるべきと述べました。

議会と行政(政治を行う人、当時は国王)では、議会の方が権力を持つべきだと主張します。今日の議会制民主主義の原型と言えると思います。

さらにロックは国民は「所有権」を持つと説明します。所有権について詳しくは下記のリンクで解説しています。

5分でわかるジョン・ロックの「統治二論」要約。自然状態や所有権も解説

人々が国家を作り、そこに所属する理由は「所有権」を守るためであり、議会や行政はその権利を守るために存在するべきだと説きます。もしその権利を犯すようなことがあれば国民は反対する手段を行使すべきと考えました。まさに、今の民主主義の原型と言っても良いでしょう。

選挙権の拡大を主張 ルソー

ルソーの主張はホッブスと被る点も多いです。この時代に同時多発的に民主化運動が起こったということを表しています。

ルソーの主張の中に一般意志という言葉が出てきます。ホッブスの言うコモンパワーと同じです。この一般意志に基づいてみんなの利益となるように権力を使おうと考えました。

ルソーはさらに踏み込みます。この一般意志を実現するには少数の人間に選挙権を与える現在の制度は問題であると説きます。(※当時は成人男性のうちで、資産を一定数持っている人だけ選挙権が認められていた)

ルソーはより広い人々に選挙権を与える必要性を初めて説明しました。これが、普通選挙制へとつながっていくわけです。

より詳しく知りたい方は下記のリンクで解説しています。

5分でわかるルソーの「社会契約論」- わかりやすく自然権や一般意志を解説

ここまでまとめると下記のとおりです。

  • 民主主義の哲学的基盤を固めたホッブス
  • 議会制民主主義の基礎を提唱したロック
  • 普通選挙制の先駆けを作ったルソー 

市民活動から憲法制定へ

市民革命が次第に国を動かし、ついには憲法や政治制度を変えていきます。

まずは、イギリスの権利章典(1689年)で、人権の尊重と議会制民主主義が初めて認められます。続いてアメリカでは独立宣言(1776年)で、フランスでも人権宣言(1789年)によって、民主主義制度が取り入れられていきます。

これらの宣言には2つの柱が存在します。1つが、人権(自由、生命、財産)の保障、2つ目が民主的な政治制度の確立です。

民主的な政治制度とは議会制民主主義などの、国民が主体となる政治制度の仕組みのことです。

民主主義の発展と修正

19世期の中盤、民主主義はいよいよ経済的問題へと出会うこととなります。民衆は権利を勝ち取りましたが、しかし経済的な貧困状態へと突入します。

そこで、国は民主主義を修正せざるを得なくなります。大きく分けて2つの修正がなされます。

1つが、団結の自由を与えることです。これまで雇用主と労働者の契約は、契約の自由を与え政府は口出しすべきでないとしていました。しかし、それでは貧困が拡大してしまうので、労働者が団結する権利を与えて、労働者の自由を保護しました。

2つ目が、私有財産の不可侵という原則の否定です。これまで持っている財産は、政府が取り上げてはいけないとしていましたが、公共の福祉のためであれば部分的に一部を財源として良いとしました。

今ではこれら2つは当たり前のことです。

1つ目は労働組合ですよね。労働者は団結して対等な契約を結ぶことができるようになりました。

2つ目は、累進課税や相続税などですよね。これまでは誰かの権利を犯すこととして、不可侵領域でしたが、経済が傾くと同時に、それらを許容して、小学校を建設したり、ダムを作ったりして経済を立て直そうという考えに修正されていきました。

ちなみに、この時生まれた社会主義は、民主主義運動の中で生まれています。社会主義で有名な人は「マルクス」ですよね。マルクスについて詳しくは下記で解説しています。

10分でわかるマルクスの「資本論」入門。初心者にも分かりやすく要約・解説します。

社会主義は独裁的で民主主義とは真逆の思想と思われがちですが、実は上のリンクで詳しく解説しているととおり、国民の権利を守るための政治制度を模索した結果なんです。

「資本主義では国民の権利なんてないじゃないか?」「貧困によって生きる権利さえ与えられないじゃないか?」という不満から、社会主義というものが生まれています。

日本の民主主義はいつから始まったのか

では我が国では、民主主義はどのように認められて、制度化されてきたのでしょうか?

それは、第二次世界大戦後(1945年)です。日本は明治維新の後に急激に近代化したと思われがちですが、それはあくまで経済においてです。

日本は富国強兵によって、資本主義経済は素晴らしい発展を遂げて、経済的には欧米列強に並ぶほどになりましたが、政治制度においては、軍国主義の色が非常に強いものでした。

敗戦した日本は「ポツダム宣言」を受け入れ、基本的人権の尊重と民主的な政府の設立を連合国から要求され、それに基づいて、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三原則を基調とする日本国憲法を制定(1946)し、民主主義国家への道を歩み始めることとなりました。

まとめ

民主主義は、何度も繰り返しますが、「人民の意見が反映される政治体制」です。それを支える思想や制度は歴史とともに変化し、拡大し続けています。

我々国民は民主主義とはこういうものだ、と決め付けるのではなく、人々の権利を守るにはどうすれば良いのか?人々の権利が守られるにはどうすれば良いのか?ということに立ち返って考えるべきと思います。

もともと社会主義は民主主義を実現する経済体制を目指しました。しかし、それはファシズムへと変化し、国民の主権を侵すものへと変容します。我々は民主主義国家の一員として「本当に民主的なのか?」を絶えず考えていくことが必要なのかも知れません。

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