10分でわかるプラトンの思想の本質 – イデア論、形相、質量をわかりやすく

プラトンは、西洋哲学の基礎を作った人物です。彼の思想が登場して以来、1000年以上もの間、ヨーロッパ世界に影響を与え続けました。

哲学の世界では「ほとんどの哲学が、プラトン哲学の解釈である」と言われるほど、重要な概念の多くを提唱しました。一方で、プラトンの考えは難解で、多くの人が理解するのに苦しみます。

そのため、この記事では、なるべく難しい言葉は使わずに、丁寧に解説します。なお、前提知識はいりません。

下記の記事で、哲学史をわかりやすく一気に解説していますので、ざっくり哲学を理解したい方におすすめです。

哲学とは何か? 重要な哲学者の思想を歴史に沿ってわかりやすく解説

プラトンとは?

プラトンは、紀元前427年に誕生しました。日本だと弥生時代です。

彼は、古代ギリシャのアテナイに生まれ、王族の血を引く裕福な家庭に生まれました。ソクラテスを師匠とし、アリストテレスを弟子に抱えていました。

とはいえ、プラトンはソクラテスから何か思想を受け継いだわけではありません。しかし、師匠のソクラテスが世の中のあらゆるものを否定したおかげで、彼独自の思想を構築することになります。

この辺りの経緯について詳しくは下記の記事でも解説しています。

10分でわかるソクラテスの思想 -弁明・問答法をわかりやすく図解

またプラトンの弟子のアリストテレスは、プラトンの思想と、古代ギリシャ的な古い思想を折衷しようとしました。下記の記事で解説しています。

10分でわかるアリストテレスの思想 – 形而上学、自然学をわかりやすく解説

哲学とは何か?

プラトンの思想を理解するには、まず哲学とは何かを理解する必要があります。哲学につい様々解釈がありますが、「存在とは何か」を考える学問だと思えば十分です。

では「存在とは何か」の答えは、大きく2つに分類できます。1つ目が存在とは「なり出でてある」という考え、2つ目が、存在とは「作られてある」という考えです。

ソクラテス以前の古代ギリシャの人々は、あらゆる万物は、生き生きと生まれ、変化し、そして消滅する「なり出でてある」と考えてました。日本の八百万の神に近い考えです。

しかし、ソクラテス以降、正確にはプラトンから、その考え方を捨て去り、万物は、すべてが死せる材料・物質であり、そして、「作られて存在している」と考えるようになりました。

プラトンは、この発想の大転換をした人物と言えます。プラトンがわかりにくい理由は、日本人の価値観は、「なり出でてある」思考が当たり前だからです。目の前にある木が、作られたものなどという発想に普通は辿りつきません。

しかし、この根本的な存在に対する解釈の違いを理解しておけば、プラトン思想は、すんなりと理解することができます。

プラトンの思想とは?

プラトンの思想の根本は、先ほど説明した通り、この世の中の存在は「作られてある」と考える思想です。

では、作られてあると考えるには、その設計図がいるはずです。

例えば、目の前に机があるとして、材料は木材だとか石材だとかスチールとかなんでも構わないのですが、ある職人が「机」というもののあるべき姿をイメージして、それを作るはずです。

この机の「あるべき姿」をプラトンはイデアと呼んでいます。ここからプラトンのイデア論が展開されます。

イデア、イデア論とは?

プラトンのイデアとは、例えば机なら、机のあるべき姿のことです。

そして、人間は机を作るわけですが、その机は形相(エイドス)として存在すると説明します。そして、その形相の材料となる、木材や石材などは、質量(ヒュレー)と呼びます。

つまり、プラトンは最も理想的な形は「①. イデア」であり、そのイデアを表現する一般的な形は「②. 形相(エイドス)」であると説きます。そしてそれは「③. 質量(ヒュレー)」によって作られると考えました。

この考え方の最も特異な点は、超自然的な原理である「イデア」を設定し、その配下に「作られた」存在を置いたところにあります。

世の中の存在は、生まれ、変化し、そして消滅する生き生きとしたものではなく、イデアの模造として作られ存在していて、そしてその他のものは質量(材料)に過ぎないという考えです。ちなみに、この質量は、マテリアルの語源となっています。

プラトン思想の歴史的背景

では、なぜプラトンは、超自然的原理である「イデア」を設定して「作られてある」思想へと進んだのでしょうか?そこには、当時の時代背景が大きく関わっています。

彼の生きた時代は、アテナイ対スパルタのペロンポネーソス戦争や、その後の30人政権での内乱など、政治的に混乱していた時代でした。いわば、「成り行き任せ」の国家運営で、プラトンは大いに憤っていたと考えられます。

そこで、プラトンは、国家は成り行き任せではなく、理想をもとに作り上げていくべきものだと考えました。それがイデア論を作る大きなきっかけとなっています。

また彼は、世界漫遊旅行をした際に、北アフリカのユダヤ人居住区と南イタリアのピュタゴラス教団へと立ち寄っています。

ユダヤ人が信仰するユダヤ教は神という1人の超自然的原理によって、万物は作られたという価値観です。彼がユダヤ教に触れたとは文献に残されていませんが、おそらくそうであったと考えられます。

また、ピュタゴラス教団にも立ち寄り、「数」という概念にも触れています。例えば三角形は、目の前に現れているけど、寸分狂わない完全な形は「数」で表現されます。プラトンはその考え方に触れ、「作られてある」思想を作ったと考えられます。

まとめると、当時の成り行き任せの国家運営をなんとかしたいと考えていたプラトンは、ユダヤ教やピュタゴラスの「数」という概念に触れ、「作られてある」思想を発想したと考えられます。

プラトンの弟子のアリストテレスはプラトンの考えを「異教徒風」と表現したりしてますから、いかに彼が、特殊な考え方をしていたことが窺えます。

また、プラトンは政治にも積極的で、シチリアの国家を彼の理念をもとに運営しようとするのですが、上手くいきませんでした。やはり、まだプラトン哲学は政治に応用するには具体性という面では未熟だったのでしょう。

哲学を知るのにおすすめの本

木田 元 (著)

私が哲学を学ぶ上でおすすめしたい本は「反哲学入門」です。

様々な哲学本を過去読んできましたが、ここまで哲学史を体系的にまとめている本はありません。入門書としてこの一冊を読んでおけば、専門的な本を読んだとしても、かなり理解しやすくなると思います。哲学とは一体何か?というところにフォーカスして様々な哲学者を解説しており、基礎的な理解をする助けになります。

まとめ

プラトンについてまとめましたが、ご理解いただけましたでしょうか?

プラトンは、存在を「作られてある」と考える、いわば異教徒風な考え方を始めて提唱した人物です。そしてこの考え方は、キリスト教と密接に結びついて、ヨーロッパに影響を与え続けることになります。

キリスト教は、万物は神が作ったのだと考えますが、プラトンのイデアを設定し「作られてある」と考える独自の存在論は、それを強力にバックアップしています。彼の思想の中核であるイデアは、例えば純粋形相や理性など、名前は変えはしますが、根本的には「超自然的原理」を設定し、それを参照するという点で同じです。

この超自然的原理がキリストに置き換えられ、キリスト教が影響力を増すとともに、プラトンの存在論であるプラトニズムは揺るがぬ思想として、良くも悪くも形を変えながら西洋を支配することとなりました。

続いて、プラトンの弟子のアリストテレスについては、下記リンクで解説しています。

10分でわかるアリストテレスの思想 – 形而上学、自然学をわかりやすく解説

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