アリストテレスは、プラトンの弟子でありながら、形而上学や自然学など独自の思想を打ち立てた古代ギリシャの哲学者です。
この記事では、アリストテレスの思想をわかりやすく解説します。プラトンから受け継いだ考えを、どのように発展させたのかを理解できるはずです。
なお、アリストテレスを理解するには、最低限プラトンを押さえておく必要があります。下記の記事で詳しく解説しています。
アリストテレスとは?
アリストテレスは紀元前384年に生まれた哲学者で、プラトンの弟子です。プラトンはソクラテスの弟子なので、関係は下図の通りです。

師であるプラトンやソクラテスと比べたとき、アリストテレスの大きな特徴は、「守るべき祖国」や「改革すべき祖国」を強く持っていなかったことです。
ソクラテスやプラトンはアテナイという祖国を持ち、政治の腐敗や戦争の敗北を目の当たりにしながら、それをどう変えるかを考えていました。一方で、アリストテレスはそうした立場とは少し異なります。

彼は、マケドニア王国支配下のスタゲイラに生まれ、父はマケドニア宮廷の医者をしていたため、比較的裕福な生活をしていました。17歳ごろにアテナイでプラトンのもとに学んだ後は、マケドニアへ戻り、アレクサンドロス大王の家庭教師を務めています。
その後、マケドニアが勝利すると、かつて教え子だったアレクサンドロス大王から大きな支援を受けます。その資金でアテナイに自分の学園「リュケイオン」を設立し、プラトンの学園アカデメイアと並ぶ学問の拠点を築きました。

わかりやすく言えば、都市国家アテナイの内部から哲学したソクラテスやプラトンに対して、アリストテレスはやや外部的・客観的な立場から世界を見ていた哲学者だと言えます。
アリストテレスの思想
祖国との強い結びつきを持たなかったことは、アリストテレスの思想にも色濃く表れています。
アリストテレスは、ソクラテスやプラトンのように古い価値観、つまり古代ギリシャ的価値観を全面的に否定しませんでした。ソクラテスやプラトンが古い価値観に大きく切り込み、新しい哲学を打ち立てようとしたのに対し、アリストテレスはそこに待ったをかけます。
彼は、プラトンの行き過ぎた部分を巻き戻し、古代ギリシャ的な価値観と折衷しようとしたのです。

プラトンの価値観と古代ギリシャ的価値観
では、古代ギリシャ的な価値観と、それを壊して新しく打ち立てたプラトンの価値観とは何でしょうか。
アリストテレスを理解するには、この二つを押さえる必要があります。
まず、古代ギリシャ的価値観では、存在とは「なり出でてある」ものだと考えられていました。世の中にあるあらゆるものは、生まれ、変化し、消滅する、生き生きとした存在として捉えられます。日本の八百万の神に近い考え方だとイメージするとわかりやすいでしょう。

一方で、プラトンの価値観では、存在とは「作られてある」ものです。あらゆる存在は、作られるための材料にすぎず、静的で死せるものとして理解されます。

ちなみに、哲学とは「存在とは何か?」を考える学問です。
つまりアリストテレスは、「存在とは何か?」という問いに対する古代ギリシャ的な答えとプラトンの答えを、何とか両立させようとした哲学者だと言えます。
形而上学とは何か?
ここで重要になるのが「形而上学」です。非常に難しそうな言葉ですが、もともとは「自然学の次の学問」という意味でした。
自然学とは、算術や物理学など、この世界の自然や事象を扱う学問です。そして形而上学とは、それらを学んだ後に学ぶもの、つまり学習順序を示す言葉にすぎませんでした。
その後、この言葉は「自然を超えたものを扱う学問」というニュアンスを帯び、さらに漢文の「形而上」という言葉が当てられたことで、いっそう難しく感じられるようになりました。

つまり、形而上学とは本来、さまざまな自然現象を学んだのちに、それらを包括するより高次の原理を考える学問にすぎなかったのです。
メモ:アリストテレスの第一哲学とは?
ちなみに「形而上学」は、もともと「第一哲学」と呼ばれていました。
講義ノートが編纂される際に、自然学の後ろに置かれたことで「形而上学」という名前が与えられました。つまり、形而上学と第一哲学は同じ学問です。
可能態と現実態とは?
アリストテレスは、プラトンのある考え方には無理があると批判します。
それは、「形相(エイドス)」と「質料(ヒュレー)」の二つで世の中の存在を整理しようとすることです。
この二つだけで存在を説明すると、机や椅子などの人工物には当てはまっても、植物や動物のような自然物に適用するには無理があるとアリストテレスは考えました。

そこでアリストテレスは、「形相(エイドス)」と「質料(ヒュレー)」ではなく、「可能態(ディナミス)」と「現実態(エネルゲイア)」で存在を整理できないかと考えました。
つまり、「質料(ヒュレー)」は、何らかの「形相(エイドス)」になる可能性を持つもの、すなわち「可能態」だと考えます。そして、その可能性が実際に実現したものを「現実態」と呼びます。
例えば、木の種は「可能態」です。そして、それが木になれば「現実態」となります。さらに木は、机になるための「可能態」でもあります。

こうして、可能態 → 現実態 → 可能態 という連鎖が続くことで、存在は静的なものではなく、動的に変化するものとして理解されます。
つまりアリストテレスは、プラトンの行き過ぎた「作られてある」思想を巻き戻し、古代ギリシャ的な、生まれ、変化し、消滅する「なり出でてある」存在論を取り込んだのです。
純粋形相とは? 運動の最終目的地点
ここまで読むと、アリストテレスは古代ギリシャ的な思想を取り戻したように見えるかもしれません。しかし、実際にはそう単純ではありません。
彼は結局、プラトンのいう「イデア」のような超自然的思考様式を完全には捨てることができませんでした。
先ほど、可能態 → 現実態 → 可能態 という連鎖が続くと説明しましたが、アリストテレスは、この運動には最終目的地があるはずだと考えます。
この運動を目的論的運動と呼びますが、あらゆる可能性をすべて自分のもとへ引き寄せる存在があると考えました。これをアリストテレスは「純粋形相」と呼びます。役割としては、プラトンのイデアにかなり近いものです。

つまりアリストテレスは、プラトンの超自然的思考様式を修正しつつも、最終的には純粋形相という形でそれを残したのです。
自然学とは?
アリストテレスは自然学についても多くの著作を残しています。先ほど説明したように、自然学とは物理学、生物学、天文学など、私たちが今学ぶような個別の自然科学に近い学問です。
そして、日本で形而上学と呼ばれているものは、その自然学の次に学ぶべきもの、つまり「自然学の次の書」という意味でした。
この点を理解すると、アリストテレスは、まずこの世に存在する自然を自然学で学び、そのうえで、それらすべてを包括する「存在とは何か」という理論として形而上学を学ばせたかったことがわかります。
形而上学は難しい言葉に見えますが、要するに自然の個別事象を超えて、それら全体を貫く「存在とは何か?」を問う学問なのです。もともと第一哲学と呼ばれていたことにも納得しやすいと思います。
哲学を知るのにおすすめの本
私が哲学を学ぶ上でおすすめしたい本は「反哲学入門」です。
さまざまな哲学本を読んできましたが、ここまで哲学史を体系的にまとめている本は多くありません。入門書としてこの一冊を読んでおけば、専門的な本に進んだときでもかなり理解しやすくなると思います。哲学とは何かという問いを軸に、さまざまな哲学者を整理しており、基礎理解の助けになります。
まとめ
アリストテレスの思想を理解するには、やはりソクラテスやプラトンの流れを押さえておくことが重要です。
ソクラテス、プラトン、アリストテレスと古代ギリシャで展開された哲学は、その後の西洋思想全体の土台になります。
アリストテレスは、プラトンの行き過ぎた部分を修正しつつ、古代ギリシャ的な存在観を取り戻しました。しかし同時に、「純粋形相」というかたちで超自然的原理も残しています。
つまり彼の哲学は、「なり出でてある」存在観と「作られてある」存在観を折衷しながら組み立てられた哲学だと言えます。
ぜひプラトンやソクラテスの記事とあわせて読むことをおすすめします。



