10分でわかるヘーゲルの思想 – 弁証法や精神現象学をわかりやすく解説

ヘーゲルは、カント哲学を継承したドイツ観念論哲学者の1人です。

ドイツ観念論哲学は、50年にも渡って展開されたのですが、この哲学が目指したのは、カント理論の二元対立を解消するということです。

この記事では、ヘーゲルがいかにしてカントの問題点を解消し、克服していったのか、わかりやすく解説します。

なお、ヘーゲルを理解するには最低でもカントの思想を理解しておく必要があります。下記のリンクで解説しています。

10分でわかるカントの思想 – 純粋理性批判をわかりやすく解説

カントからヘーゲルへ

カント哲学を継承展開した、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルらの哲学はドイツ観念論の哲学と呼ばれています。

ソクラテス、プラトン、アリストテレスによって展開されたギリシア古典時代の哲学に匹敵する黄金時代と見られています。ギリシア古典哲学については、全て下記のリンクで解説しています。

10分でわかるソクラテスの思想 -弁明・問答法をわかりやすく図解 10分でわかるプラトンの思想の本質 – イデア論、形相、質量をわかりやすく 10分でわかるアリストテレスの思想 – 形而上学、自然学をわかりやすく解説

カントの「純粋理性批判」が1781年に刊行され、ヘーゲルの没年が1831年なので、ちょうど半世紀に渡ってドイツ観念論哲学は展開されました。

この哲学が目指したのは、カントのもとで人間理性は「限定的に」神的理性の後見を退けることができたわけですが、その限定的な範囲を押し広げようとしたと言えます。なお、このあたりの説明について詳しくは下記のリンクで解説しています。

10分でわかるカントの思想 – 純粋理性批判をわかりやすく解説

上の記事でも解説していますが、カントは「現象界」と「物自体界」において、人間は「現象界」のみ正しく理解可能であるとしました。

しかし、「現象界」と「物自体界」という二元論は、落ち着きが悪く、ヘーゲルのもとで一元化が目指されたというわけです。

ヘーゲルとは?

ヘーゲルは1770年に南ドイツのシュトゥットガルトに生まれました。1788年にシュービンゲン大学に入学し哲学と神学を学びました。

その2年後の1789年に、隣国のフランスでフランス革命が起こりました。ヘーゲルももちろん隣国から入る情報を目の当たりにしてましたから、彼の人生は社会の大きな変革とともにあったと言えるでしょう。大学卒業後は、当時の習慣に従い、貴族や実業家の家庭教師をしながら研究を続けます。

1801年にシェリングの推薦によって、ようやくイェナ大学の私講師の職を得て、シェリングとヘーゲルは共に哲学雑誌を発行したりし始めます。

しかし、ヘーゲルはシェリングにだいぶ気を遣っていたらしく、1803年にシェリングが大学を離れてようやく伸び伸びと活動し始めます。1807年に主著「精神現象学」を発表します。

その後は様々な大学に招かれ弟子を各地に配置して、ドイツ哲学界に君臨することになります。1830年にはベルリン大学総長に就任しますが、1831年にコレラであっけなく亡くなっています。

ヘーゲルの思想 - 精神現象学とは?

ヘーゲルはカントの思想をどのように展開していったのでしょうか?

カントは人間理性の「有限性」を強く主張しました。つまり、人間理性が影響を及ぼせるのは、あくまで「現象界」のみであり、「物自体の世界」には及ばないということです。

カントは現象界は「悟性の枠組み(カテゴリー)」によって整理されると考えました。

しかし、ヘーゲルは「悟性の枠組み(カテゴリー)」が、もっと多ければそれだけ、人間理性が理解できる範囲が増大すると考えました。もし、そのカテゴリーが無限に増大するのであれば、もはや物自体の世界は限りなく小さくなり、認める必要はないだろうと考えました。

直感の形式思考の枠組み
単一性数多性全体性
事象内容性否定性制限性
関係実体と属性原因と結果相互作用
様相可能性現実性必然性

ちなみに、もともと悟性のカテゴリーは、上の表の通り、12個の固定的な枠組みに考えたことは不評でした。人間の精神の働きなのだから、もっと生き生きと、拡張されていくはずなのではないか?と考えられていました。

そうして、人間精神には異質として捉えられていたものも、カテゴリーを広げることで、次々と精神へと取り込まれ、本当の意味での世界の創造者になりうるのではないかと考えました。

無時間的世界から歴史的世界へ

ヘーゲルは、カントの現象界と物自体界という二元論を克服していき、むしろ人間精神は拡張されて変化していくものだと考えました。

いわば、人間精神は全く変化しない、静的なものではなく、動的に拡張されるものだと捉え始めました。いわば、点から線へと認識を変化したわけです。

それと時を同じくして、人々の「世界」への捉え方も、静的なものから動的な歴史的な世界へと捉え方が変化していきます。

つまり、神様が作った、固定的な世界ではなく、人間が自らの手によって作り替え、歴史を作っていくものだと捉えたわけです。また、歴史を作るのは民族ですから、民族としてのアイデンティティが生まれ始めたのもこの頃です。いわば、ヘーゲルの思想は、民族精神の解放の一つの運動でもあったわけです。

弁証法とは何か

ヘーゲルは、一方的に人間の精神を、世界に押し付けるとは考えていません。

むしろ、人間の精神が世界に、その枠組み(カテゴリー)をうまく押し付けるために、精神もまた世界に自分を合わせ、従わなくてはいけません。つまり、精神と世界は相互作用をするものだと考えました。

彼が家庭教師時代に研究した、イギリスの古典経済学、特にアダム・スミスから学んだ「労働」という概念によって捉えています。

アダムスミス については下記のリンクで詳しく解説しています。

5分で分かるアダムスミスの国富論 – 分かりやすく初心者向けに要約

「労働」は、労働者が一方的に、材料などの対象に働きかけるのではなく、それと同時に労働主体も対象によって働き掛けられます。スキルが向上したり、やり方を工夫したりするはずです。つまり、お互いに作用しています。

ヘーゲルは、遠く離れたドイツから、イギリスの近代的生産様式に触れ、その哲学的骨組みだけを捉えたのだと言えそうです。

絶対精神を獲得する

ヘーゲルは、人間の精神は、労働を通じて弁証法的に(=対話して相互に作用しながら)成長していくと考えました。

そして、成長し続けた結果、もはやもう、自分に立ち向かってくる異質な力が何一つなくなった時に絶対精神を獲得すると考えました。

ヘーゲルは当時のフランス革命に、その思想を重ねながら、人間は長い圧政から解き放たれて絶対精神を獲得する最終段階に来ていると考えました。

超自然的思考様式の完成

こうして、カントによって自然の科学的認識による支配を約束され、さらにはヘーゲルによって神の後見を退陣させ、その支配を拡大していくのが人間精神であり、最終的には「絶対精神」を獲得すると考えました。

つまり、人間は「自然」よりも上の概念、つまり支配する立場を確立したというわけです。プラトンによって提唱されたイデアなどの「超自然的思考様式」が近代化され復興を遂げたと言えそうです。

プラトンについて詳しくは下記のリンクで解説しています。

10分でわかるプラトンの思想の本質 – イデア論、形相、質量をわかりやすく

ヘーゲルによって、見事に人間が自然の支配者になり得る哲学的な根拠が提示され、その後、自然を操作し、コントロールし、作り替えるという「近代化」や「機械化」を推し進めたことは言うまでもありません。後の産業革命などは、もちろんヘーゲルの哲学的基礎づけと共に進行していきました。

まとめ

カントから始まった、プラトン思想の復興運動は、ヘーゲルによって見事に近代化され完結しました。

プラトンは、自然を死せる物質として捉え、超自然的な「イデア」の模造に過ぎないと考えました。ヘーゲルはその考え方を踏襲し、人間と自然とが弁証法的に相互作用することで、理解を広げ、技術として取り込んでいくと考えました。

プラトンとヘーゲルの大きな違いは、神様しか持ち得ない超自然的な概念を、人間のもとに取り戻し、そして自ら拡大する精神を持つと考えたことです。

ハイデガーは、ヘーゲルから「形而上学が技術として猛威をふるう」とのちに述べますが、まさしく産業革命など大きな近代化を成し遂げたと言えるでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください