10分でわかるカントの思想 – 純粋理性批判をわかりやすく解説

イマヌエル・カントは、ドイツ観念論哲学の祖とされています。ドイツ観念論とは、プラトン、アリストテレス哲学に次ぐ主要な哲学体系の一つです。

この記事では、カントの思想についてわかりやすく解説します。この頃から哲学は大学で学ばれるようになったため専門用語が非常に多く複雑です。そのため多くの人が挫折しがちですが、言いたいことは非常にシンプルです。

古典的理性から啓蒙思想へ

カントを理解するには、歴史的な背景を理解する必要があります。

当時の哲学の主流は古典的理性主義と呼ばれるもので、デカルトの思想が例として挙げられます。デカルトの思想は下記のリンクで詳しく解説しています。

10分でわかるデカルトの思想 – 方法序説や省察をわかりやすく解説

デカルトの思想を簡単に説明すると、下記の通りです。

  • 人間は神から分け与えられた「理性」を持っている
  • その「理性」は、我々が考えるような「理性的だね」「本能的だね」といった類のものではなく、神から平等に等しく与えられたもの
  • その理性を正しく用いれば、世界の理性法則を理解することができる

つまり、「人間は、神の後見によってのみ、世の中の理性法則を理解することができる」ということです。これを古典的理性主義と呼んでいます。

しかし、18世期になる頃に、啓蒙思想 啓蒙的理性主義というものが誕生します。その中心人物がカントです。

啓蒙とは、「暗がりを照らす」という意味で、神の後見によってのみ、世の中を見渡すことができ、神がいなければ何もわからないという、いわば「暗がり」の状態を脱して、みずから暗闇を照らすことができる理性を獲得するということです。

この啓蒙思想によって、人間は自立する精神をようやく獲得したといって良いでしょう。デカルトが近代哲学の祖と言われていますが、実際には神の後見を脱したカントの思想が本当の意味で近代と言えそうです。

イマヌエル・カントの生涯

カントは1724年に、当時東プロイセン(旧ドイツ)の首都でもあった国際的な港町のケーニヒスベルクに生まれ、1804年に80歳でこの町で亡くなっています。

過去の哲学者は、世界漫遊旅行に出たりと、貴族的な生活を送った人が多いですが、カントは体が弱かったからか、この街を離れず、生涯独身で、静かな生活を送ったといいます。

この街の大学で哲学を学んだ後に、家庭教師や講師をしていましたが、46歳になってようやく教授になりました。かなり遅咲きの哲学者と言えます。

彼は57歳で主著「純粋理性批判」を執筆しています。表向きは静かな生活をしていたカントですが、この哲学書は非常に痛烈です。

なぜならこの本は神の存在を否定しているように見えるからです。先ほども説明しましたが、古典的理性主義は神の存在によって、世界法則を理解できるという前提がありましたが、この本では、神の存在がなくても理性的な認識が可能だと指摘しました。

カントの思想:純粋理性批判

ではここからカントの思想について紐解いていきます。彼の思想は「純粋理性批判」を理解すれば十分でしょう。

純粋理性批判で試みたことは下記のとおりです。

人間理性の自己批判によって、人間理性が有効な範囲と、人間理性が及ばない範囲を明らかにする

経験主義の限界

純粋理性批判は、人間理性の有効な範囲を定めようと試みました。なぜそのような作業が必要だったのでしょうか。

当時、ロック、バークリー、ヒュームなどのイギリスの経験主義が影響力を増していました。

経験主義とは、古典的理性主義のように、神から分け与えられた理性を正しく使えば、世界の理性法則を理解できるという考えを否定します。そして、我々人間が得られる認識は、同じ経験をした人が、そうだったと認める程度だと考えました。

例えば、リンゴは赤いというのは、それを見たことがある(経験したことがある)人たちの間で、そうだと認める程度のものだということです。つまり、神の理性が認識できるような、誰もが認める絶対的真理を、人間は認識することは不可能であると考えました。

物自体界と現象界

しかし、カントは、ロックらの経験主義に下記のような疑問を持ちました。

人間は所詮、経験的認識しか持ち得ないのならば、なぜ「1 + 1 = 2」のような数学的認識や、ニュートンの物理法則などが成立するのだろうか?

カントは経験主義に基本的に共感はしたのですが、ここだけは納得できなかったのです。そこでカントは下記のように考えました。

  • 人間理性に認識しやすい形で現れてくる「現象界」に限り、理性的認識が可能である
    →数学的認識や物理法則など
  • 逆に「現象界」とは関係のない、人間が介在し得ない物だけで成立する「物自体界」については、経験的認識しかできない

つまり、カントは、人間理性が認識が可能なのは、たまたま人間が理解しやすい形で現れてくる「現象界」のみであるということを主張しました。

コペルニクス的転回

ここまで読むと、カントは何が新しいの?と思われるかもしれません。しかし、カントのこの考えは大転換をしています。コペルニクス的転回とも呼ばれています。

なぜかというと、今までは「我々の認識は対象に依存している」と考えていました。神の理性を正しく使えば、対象の真理に到達できるということです。

しかし、カントはそれを180度転換して、「対象が我々の認識に依存している」と考えました。

つまり「物自体の世界」に対しては、われわれの認識能力は無力ですが、「現象界」に限るなら普遍性と客観的妥当性が可能であるということです。

人間理性はカントのもとで、ようやく、限定的な範囲ではありますが、神の後見などなくても、何が存在して、存在しないのかを決定できる自然界の立法者になったわけです。

思考の枠組み(カテゴリー)

カントは人間は「現象界」を認識する際に下記の流れになると考えました。

  1. 物自体の性質が人間の感覚器官を刺激する
  2. それを「直感の形式」を通して受け入れる
  3. 受け入れた材料を「思考の枠組み(カテゴリー)」に従い整理する
  4. 整理されることで人間の間尺にあった「現象界」が現れる

つまり、自然界の様々な存在は、人間の思考の枠組みによって整理されることで「現象界」として理性的に認識されて客観性を持ち得るということです。人間理性が認識可能な現象界は、静的な物ではなく、この枠組みに従い拡張されていくものということです。

カントが定義した思考の枠組みは下の表の通りです。

直感の形式思考の枠組み
単一性数多性全体性
事象内容性否定性制限性
関係実体と属性原因と結果相互作用
様相可能性現実性必然性

この表を見てわかることは、「原因と結果」つまり因果関係についても、物自体界に存在するものではなく、我々が現象界として認識するために使う形式であるということです。


ちなみに、この思考の枠組み(カテゴリー)はあまり評判が良くありませんでした。また「現象界」「物自体界」という二元論も収まりが良くないと思われていました。なぜなら、両方の世界を統一して説明できる理論のほうがすっきりするからです。

そこで、次に登場するのが「ヘーゲル」です。彼によってカントの思想はさらに推し進められました。詳しくは下記のリンクで解説しています。

10分でわかるヘーゲルの思想 – 弁証法や精神現象学をわかりやすく解説

まとめ

カントの思想は、カント以前のデカルトなどの思想と大きく異なっています。カントまではあくまで神様という存在の後見のもとで、理性的認識が可能だと考えました。

つまり、科学、数学、物理学なども、すべて、神的理性によって観察されるものと考えました。しかし、カントは、それらすべて人間理性が認識しやすい形で現れた世界であると考えました。いわば、自然界の立法者は神ではなく人間であると大転換を遂げたわけです。

この哲学的基礎のおかげでイギリスが産業革命など大躍進を遂げたのは言わずもがなです。正真正銘の「近代」の第一歩を遂げたと言えるでしょう。

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