アダム・スミスは「国富論」を書いたことで有名ですが、国富論を書く前に「道徳感情論」という本を書いています。
アダム・スミスは経済学者なのに「道徳」?と思う方もいるかと思いますが、スミスが活躍した1700年代は、まだまだ経済学という学問が確立しておらず、「哲学」が主要な学問でした。この道徳感情論も哲学書として書かれました。この記事では、アダム・スミスの「道徳感情論」を5分で理解できるようにまとめます。
「国富論」について、理解したい方は下記のリンクで解説しています。
5分でわかるアダム・スミスの国富論(諸国民の富)- わかりやすく要約道徳感情論とは?
道徳感情論は1759年に発行された、アダム・スミスの処女作です。
この本では、人間は利己的で自分勝手な生き物のはずなのに「なぜ社会は秩序を保ち道徳的に振る舞えるのか?」を研究した学問です。
法律的に裁かれるから、秩序が維持されているのだ、という議論ではありません。人間の根源的な部分で「道徳でいよう」とするこの感情は何なのか?をスミスは考えました。
人間には「共感」という感情がある
道徳感情論では、次の一文が記載されています。
いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの推進力が含まれている。人間がそれから受け取るものは、それを眺めることによって得られる喜びの他に何もない。哀れみや同情がこの種のもので、他人の苦悩を目の当たりにし、事態をくっきりと認識したときに感じる情動に他ならない。
つまり人間は、他者という存在と「共感」し、哀れみや同情を抱ける能力があると述べています。
この能力を人間は持ち合わせているからこそ、道徳的な行動をとることができ社会秩序が維持されるのだと説きました。
他者の目による基準で行動する
また、共感や同感は、「自分の中にある基準」によって起こるのではなく、「他社の中にある基準」によって起きると述べます。
自分にとっての価値基準ではなく、「他人ならどう思うか?」「他人ならどうされたいから?」というように他者の基準を内在化することによって、人は道徳的振る舞いを取れるのだと述べました。
富者の富は公平に分配される
終始、道徳的な話が多くされていたこの書籍ですが、アダム・スミスは富の分配についても触れています。このあたりの考えが「国富論」に続いていきます。
以下のような一文があります。
富者は、見えない手に導かれて、生活必需品のほぼ等しい分配――大地がその住人のすべてに等分されていた場合に達成されていたであろうもの――を実現するのであり、こうして富者は、それを意図することなく、またその知識もなしに、社会の利益を促進して、種が増殖する手段を提供するのである。
つまり、富者の富は、貧しい人へも公平に分配されるはずだと説きました。しかも見えざる手によって行われるとしています。
ここで述べられていることは、土地から生活必需品の食料を収穫するにあたり、いくら富者であっても、食べる量には限界がある。そのため結局その余った分は、貧者に分配されるはずだろうということです。
さらには土地の改良を行い、より多く収穫することができるようになれば、貧者にさらに多くを分配されると考えました。
この考え方は、あきらかにまだ粗があります。実際には、より深く富の分配については考える必要があります。
アダム・スミスは「国富論」で、富の分配についてより深く考察するに至っています。
まとめ
アダム・スミスの道徳感情論について、まとめました。
経済学者と思われがちなアダムスミスですが、実際には哲学者でした。「人間とはどうあるべきか?」「社会とはどうあるべきか?」というより大きなテーマを扱う中で現代の経済学に通じるような考え方が生まれてきました。
この本に続く国富論は、人間は利己的に動いているのに、どうして社会では最適な資源分配がされるのであろう?というより経済に近いテーマを扱っています。道徳感情論を理解することで、国富論をより深く理解することができるかと思います。